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174:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/09/28(水) 01:10:00.87ID:1wfEJBc90

最後に

もう終わってしまった過去を見てる人は何も変わらない

何が起こるか分からない未来を予想しながら
外しながらでも前を向いてる人は変化し続ける

先は何が起こるか分からないけど
前を向いてる人だけが豊かな心を持てる

ロボットは好意で微笑むのではなく、プログラムで笑う。最近は人間もそう。
上司などのリーダーに求められる最も重要なことは,
「部下が本当のことを言えるようにすること」なのだ
そもそも,企業でもお役所でも政府でも,あらゆる組織がダメになるのは「本当のことを言う」という1点が守られていないからで,実はそれこそが組織にとってもっとも重要なことなのだ
本当のことを言う:ITpro (via tessar) (via plasticdreams) (via yoosee) (via usaginobike) (via yellowblog) (via helix7101) (via mcsgsym) (via shayol) (via reservoir) (via homh)
「なんで全員にリーダーシップを求めるのか」
「船を山の上に乗せるためです」
商品開発業務においては、途中で「プロトタイピング」ということを行う。これは、まだ仕様が決まっていない段階で、木や段ボール、発泡スチロールなどといった素材を作って思うがままに手を動かし、モノを作ってみることだ。ここでひとつ、大切なことは、「頭の中にあるイメージを実際に作るのではない」ということ。適当に手を動かして組み合わせていくことによって、発見が生まれる。「考えて作るのではなく、作ることによって考える」のだ。

ブログを書くことだって同じだ。思いついたから書くのではない。書くと決めているから思いつく(正確には、ネタを無意識に探すようになる)のだ。出そうとすると、出すべきものが向こうから寄ってくる。因果関係の逆転。

でも実際、因果関係、あるいはその逆転に見えるものは、ぐるぐる回っている全体の一部を指しているにすぎないことも多い。あるメディアを作ると、その内容に興味がある人が寄ってくる。それに対応した内容にする。そうするとまたそれに興味のある人が・・・という連環がある。実際は、このような、試行錯誤にも似たプロセスを経ながらものごとは洗練されていくのだろう。なにが正解かわかっていないような状況では、このようなプロセスが大切になる。

動物の同種に向けた攻撃は、あらかじめ和解を目的とした闘争だからです。闘争は、解決策に近付くために敢えて行う自己主張の手段です。

 オオカミや犬が腹を見せた相手を襲わないのは、それが単純に攻撃させない信号になっているだけではありません。戦いの放棄が和解の手段である以上、攻撃する理由はなくなります。

 しかし、人間には、解決策そのものがありません。人間のアイデンティティが土地や共同体と結びつくと、それを侵すものは害悪となり、徹底して排除しなくてはいけない。いったん戦いは終わるにしても、土地そのものがなくならない以上、争いの原因は残り続けます。再び敵が来襲する可能性を除去するには、相手を殲滅するしかない。

 でも、実は来襲の可能性は幻想でしかない。それを作り出しているのは、人間が未来に対して思いを馳せた想像でしかない。おそらく言葉の持っている時空を超える力の作用によるものでしょう。そもそも生物は、時間とともに変化する性質を持っています。生物同士の関係も変化するのです。ところが言葉は決して変質しないカテゴリーを作り出す力を持っています。「敵」や「悪」という概念は、いったん貼り付けられるとなかなか取り去ることができないのです。

17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2011/09/26(月) 20:19:29.25 ID:nUMBzyJg0 
仕事をこなすことは、なぜやらなかったかを説明するより簡単だ

私が中学生だったころ、誰か とつきあっている女の子は、ときどき自転車に乗らずに学校に来ていた。男の子の自転車の後ろに乗せてもらって帰るためだ。彼女たちは少しはずかしそうに、 でもどこか誇らしげに、幼い「彼氏」の肩に手をかけて河川敷を走っていった。ときどきどちらかが何か言い、ふたりで笑っていた。何を話しているのかな、と 私は思った。とってもうれしそうだ。私もいつかああいうことをするのかしら。

十九になったとき、仲の良かった男の子が川の近くに住んでいた。私は彼に訊いた。自転車もってる、あのね、自転車の後ろに乗せてほしいの、そ ういうのやってみたかったの。

彼は親切な男の子だったので、もちろんそうしてくれた。春の終わりの晴れた日の、風の弱いきれいな昼下がりに。でもそれはただの二人乗りだっ た。その日はただの春の日で、私たちがしたことはただのデートだった。

私はありがとうと言った。私はかなしかった。私はもうすぐ成人で、男の子の自転車の後ろに乗ることが特別であるような年齢ではなかった。その ことがよくわかってしまった。自転車の後ろに乗って河川敷を走るのは、十五歳までに済ませておくべきだった。その行為はその年齢においてのみ、恋のアイコ ンとして機能する。十九になってしまったら、もうそれを手に入れることはできない。

それから更に十数年が過ぎて、私のアイコンはさらに少なくなった。時間が過ぎてゆくごとに、いろいろなことが当たり前になってしまう。同じ行 為をなぞってみても、かつてそこにあったはずの特別さはきれいに失われている。

最初にアルバイトをしたときには、タイムカードさえ特別だった。それは自分が誰かの役に立つことができ、それによってお金を稼ぐことができる ことを示す、たのもしい記号だった。私は誇らしくそれを押した。がちゃんと音がしたことをよく覚えている。いい音だった。私はもうあんなふうに働くことは できない。

私はすべての特別さを消費してしまったのだろうか、と思う。すべてのあこがれを、すべての熱を、世界とじかにつながるための神聖な儀式を。

そんなはずはない。私はまだそんなに長く生きていない。私はこれから、三十二歳のうちにしておくべきこと、三十五歳までにしておくべきこと、 四十歳になったらするべきことを探さなくちゃいけない。そのときだけ特別に感じられることは、この先にもきっとあるはずなのだ。

十五歳までにしておくべきこと - 傘をひらいて、空を
2010-04-14 (via pinto, fmfy-deactivated20110915) (via aspirinsnow)

痛いくらいに、わかる。

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(via hsmt) (via a2onaka) (via musicalife) (via rm233) (via yoichi13) (via petapeta) (via yaruo)
ニートの反対は自立
そして自立の反対は甘えなので、

「甘やかさないことが自立」と思われがちですが、
自立の元になるのは意欲です。
意欲の元は、安心感です。
安心感はどこから来るかというと、

十分な甘えからです。

そこから出た安心感が土台となって、
意欲が出て、自立に向かうのです。

甘えない人が自立するのでなく、甘えていい時に
十分に甘えられた人が自立するのです。

「逆じゃないか」と思われる人があるかもしれませんが、
私たちが自立につまずく子供たちをいろいろ見ていると、
どこかで、小さいときに、甘えていいときに甘えられなかった、
ということが多いのです。

小学生のうちはじゅうぶん甘えていい時期です。
甘えていい時に、しっかり甘えられた子が
しっかり自立するのです。

                 精神科医 明橋大二